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大阪杯名勝負プレイバック(2)ケガさえなければ……屈腱炎を乗り越えて3年ぶりの勝利を飾った不屈の名馬

text by 中西友馬

2017年にG1へと格上げされて、今年2025年が9年目。春の中距離王決定戦としてのポジションを確立してきている大阪杯。、古馬の芝中距離馬にとっては、1年のうちで最初の大目標となっている。そんな大阪杯のG2時代も含めた歴史の中から、5つのレースをピックアップして紹介する。二つ目は2005年の大阪杯。

SunrisePegasus
第49回産経大阪杯を制した時のサンライズペガサス

2005年(勝ち馬サンライズペガサス)

 昨年まで68回の歴史がある大阪杯であるが、グレード制導入前、G2時代など全てを含めても連覇を達成した馬はゼロ。そんな中、連覇ではないものの大阪杯の歴史で唯一、2度の勝利を挙げた馬がサンライズペガサスであった。

 1度目の勝利は、トーホウドリームが勝利した翌年となる2002年。単勝1番人気で出走したサンライズペガサスは、中団追走から大外を豪快に差し切って勝利。前年も2着だったG1・2勝馬エアシャカールを2着に下し、重賞初制覇を飾った。

 ちなみに、この時のサンライズペガサスの鞍上は安藤勝己騎手。笠松所属でありながら、この勝利でJRAの重賞連覇という快挙を達成。さらにその翌年の2003年にはJRAへと移籍をし、大阪杯をタガノマイバッハで勝利。見事に3連覇を達成したのであった。

 サンライズペガサスに話を戻すと、重賞初制覇を飾った後は、怪我との戦いが続いた。4歳秋に天皇賞(秋)で3着と好走した後に、屈腱炎を発症して1年の休養。復活を果たして天皇賞(秋)とジャパンCを走った後に屈腱炎を再発して再び1年以上の休養と、合計2年以上を屈腱炎の治療に費やしたサンライズペガサスは、既に7歳となっていた。

 そして、2度目の屈腱炎からの復帰初戦となった中京記念で2着となり、3年ぶり2度目の大阪杯へと出走。アドマイヤグルーヴやハーツクライを抑えて1番人気に推されると、好位から抜け出して2着のハーツクライ以下を完封。2度の屈腱炎を乗り越えて、3年ぶりの勝利を果たし、史上初の大阪杯2勝目を挙げた馬となった。

 その後、秋には毎日王冠も制し、重賞3勝という実績を残して現役引退となったサンライズペガサス。最後までG1には手が届かなかったが、怪我さえなければ間違いなくG1タイトルを獲っていたのではないかと思わせる、高い素質を持った馬であった。

【了】

(文●中西友馬

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